Roots MMJ創業時からの歩み

 
7回目のMMJ総会を先日、東京で行った。
お集りいただいた皆様に感謝を申し上げるとともに、MMJ設立から経過した7年という歳月を思い、改めて酪農・乳業界におけるMMJの存在意義を強く感じている。
 

今でも生乳の取引は主に指定生産者団体を通して行われている。国内シェア95%以上であろう(※業界ではインサイダーといわれている)。
指定生産者団体は創設当初の目的からは想像もできないほど巨大な「組織」になってしまった。
牛乳は食品の中で主品目である。
その牛乳も他の食品同様に、過去の拡大増産の時代は過ぎた。
今は横ばいになり、さらに人口の減少から消費は下降局面になってきた。
この変化は大きい。
生乳指定団体という「組織」は事あるごとに衛星団体や補助組織を作り、国の補助金を利用して農家を助け救ってきた。
が、しかし農家は減少の一途をたどる、反面、組織はさらに巨大化してきた。
そして3年前、全国9ブロックに分けられた広域生乳販まで作った。
はたして必要だったのだろうか?
 
MMJはアウトサイダーとして国内トップの生乳取扱量となった。
組織形態、規模ともに前例がなく、業界の常識を超えたといっても過言ではないが、このような未知の領域における急速な発展、拡大は、 所属の酪農家、取引先の乳業さんの力強い協力と信頼があってこそ成し得たことであると思う。
指定生産者団体という巨大な組織構造と乳業界の特異な商環境のなか、牛乳に関わる軋轢や矛盾、組織的な暴力、圧力は創業当時から絶えず繰り返されてきた。
しかし、MMJが現在も業界の中心的位置にあり、成長し続けているという事実がある。
MMJが酪農、乳業界の全体に及ぼす影響など無きに等しい。しかしその存在する意義は大きく、日々拡大してきている。
酪農・乳業界が避けることのできない変化が刻一刻と進行していることの表れではないだろうか。
 
変化はまず乳価に現れた。
指定団体ができて以来30年もの間年1円以内の値動きしかしなかった乳価が、13円動いたのである。
これまで強大な指定団体制度下で免れていた相場の波が、遂に酪農界を揺さぶり始めたのだ。
穀物相場の乱高下をきっかけに国際乳製品価格は市場始まって以来という相場環境になっている。
そして、相場というものは上がったものは必ず下がる。またその逆もおこる。
上がったまま、下がったままは絶対にありえないのである。
店頭を見れば、成分調整牛乳が台頭し、消費者の低価格志向、健康志向(低脂肪)を如実に物語っている。
北海道の増産体制、消費の冷え込み、積み上がるバター、これらの要因が導くのは、さらなる相場の波である。
MMJは、国内で唯一のアウトサイダー全国組織として、酪農家に対しては、自ら販路を選択する可能性を提案し、 乳業に対しては、相場に沿った乳価でより戦略的な仕入機会を提供することを存在意義ととらえている。 固定化された生乳取引に風穴を開けるには、「相場」という荒療治が不可欠である。
乳価は常に一定ではなく、変動するものだというMMJの基本方針を、加盟農家や取引先乳業に理解していただけたことが、現在の成長につながっている。
 
乳価だけでなく、酪農家の意識もまた、着実に変化している。
空前の飼料高騰の中で、多くの酪農家が乳価上げに立ち上がり、行動を起こした一連の出来事は記憶に新しい。
酪農家にとって、乳価は他人が決めるものであり、自ら交渉の場に出ることはない。
しかし、30年変わらなかった乳価を変えたのは、他でもない酪農家自身だったのである。
このような酪農家の意識改革の浸透は、アウトサイダーに対する姿勢の変化からも伺える。
MMJ創業時、アウトサイダーは組合への不満と自主自立の強い意志を持ち、金儲けよりも理念を貫くことに意義を見出しているように見えた。
それが、やがて迎えた生産調整という大きな波の中で、生乳の行き場がなくやむを得ずアウトサイダーになる酪農家が現れた。
このような酪農家は、他の酪農家の生産枠を守るため犠牲になったということで感謝される等、 それまで組織から敬遠されがちだった自発型のアウトサイダー酪農とは違う側面を持っている。
そしていま、酪農家がアウトサイダーを見る目線は、経営者としての目線である。
かつての組合をまるごと内包してしまうような、大規模な酪農家の増加がその背景にはある。余っているときは安く、不足するときは高くなる相場の中で、 指定団体とアウトサイダーを天秤にかけ、より有利な選択をしようとする酪農家である。
もちろん、すべての酪農家が当てはまるわけではないが、指定団体一色だった酪農界が、他業種の参入や大規模化、法人化などの構造的変化とともに、 少しずつ塗り替えられていっているのは確かである。
 
そのような情勢の中で、MMJが果たすべき役割とは何か。
“酪農と乳業をつなぐプラットホームに”というのは、創業当初からのMMJのキャッチフレーズであるが、今後ますますこの立ち位置が重要になってくるだろう。
MMJの使命は、指定生産者団体という大きすぎる組織の中から生じるさまざまな矛盾や軋轢、障害や、変動する経営環境から、意欲ある酪農家を救い、 健全な経営が継続できるよう働きかけ、協力していくことである。
前述した通り、変化は着実に起こっているが、それに対応できる強い組織を、酪農・乳業とともに作り上げていくことである。
今後も、この使命を念頭に、酪農・乳業界全体にとっての「正しい道」を歩むことが、MMJの最大の役割であると考える。
 
ここ2~3年の大きな市場変化、全国的な生産調整は2年間続き、その直後の原材料の高騰、乳価の大幅値上がり。
全国各地のアウトサイダーはどう動いたか…牛乳余剰のときは契約を一方的に打ち切られたところもある。
今回の乳価値上げ交渉もできなかったところもある。
流動的な県では、アウトからインに比率が動いたところもある。
総じて変化に対応できたアウトサイダーは少ない。
インサイダー同様に自ら変化を嫌ってきたために、外界の変化に対応するすべを忘れてしまったかのようだ。
原油の価格が餌の価格にストレートに反映する時代だ。
国際乳製品価格はかつてないほどの乱高下をしている。
こうした中では、変化をチャンスにしたものだけが生き残れる。
インサイダーとて95%のシェアが大きな足かせになった。組織が何段階もあることで価格交渉の時機を逸した。
 
1. 固定費が少なく身軽であること。
2. 情報伝達、意見交換がストレートに伝わり、かつ双方向であること。
3. 組織は必要最小限、シンプルであること。
4. 会計は透明性があること。
 
業界の組織に限ったことではないが、この4項目は会社の明暗を分ける重要なファクターであろう。
MMJは今後もこの4項目を大切にしたいと考える。
今回、MMJの総会と同日に開催された全国生乳自主販売協議会の総会では、農水省OBの山下一仁氏を講師に招き、迫り来る変化の時代を生き残る術について活発な意見交換を行った。
アウトサイダー、インサイダーの壁を超えて、酪農の未来を語り合える場は、大変貴重である。
このようなつながりもまた、MMJにとって大切なものであることは間違いない。
 


 
山下一仁 氏プロフィール
1955年岡山県出身。77年農水省入省。
ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、農村振興局次長などを歴任。
08年退職。経済産業研究所上席研究員、東京財団上席研究員。著書に『農協の大罪』他多数。