Roots MMJ創業時からの歩み

 
岩手岩泉の酪農は8軒の契約農家がおりますが、全農家無事でした。
地震による物損も殆どありませんでした。
震災より全く連絡が取れない中、大変な報道が流され、交通も遮断される状態で何とか状況確認をと15日の夜出発しました。
 

燃料供給が途絶えたので、井上のディーゼル車を借用し、燃料をタンクの80Lプラス60L余分に持ち、出かけました。
現地農家の状態が分からない状況でしたが、交通、通信、電気、燃料という重要なライフライン全てが途絶えた状況での酪農…… さらに配合飼料まで配達されないという中での搾乳、想像さえしたくない、ですが、とりあえず食糧と発電機を持っていこうと考えました。

出発の当日、15日に電気の復帰が確認できました。
後は食糧。米10kg、野菜、果物、乾麺などを各農家に届けることにしました。
ランクルに山のような食料を積み、テント、防寒具、炊事道具まで積み込んでの出発。
東北道は全面閉鎖になってしまったので、関越道を通り、日本海側から新潟、山形、青森を経由して盛岡に入りました。
通常は東北道経由で9時間の行程ですが19時間かかりました。
援助物資を持っていく、といえば交通止めのゲートも通れるということをローリーの運転手に確認し出来たので、盛岡から岩泉に向かう455線ゲートは通過できました。
 

震災対策本部 瓦礫片付け、避難民の世話などボランティアを受け付ける役場入り口、 中学生がボランティアの受付をしている。

 

避難民の対応に追われる役場職員

 
農家は健在でした。
地震の被害は振動、ではなく揺れと表現できるような大きな横方向の揺れが長く続いたそうで、ガラス窓さえ割れていない状況です。
ただ、なんとしても困るのが餌の供給が途絶えたこと。
供給基地の八戸港は壊滅状態で、日本海経由の関西からの船を待つということでした。
11日の地震発生から4日間の停電、それだけでも酪農家にとっては致命的な結果をもたらすであろう状況ですが、ここ岩手岩泉の農家はたくましい。
牛は落ち着き、まるで地震などなかったかのような顔をしています。
 

この地で酪農を始めて30年、岩泉酪農家(アウトサイダー)

 

隔日集乳をしている、震災直後も半日遅れただけで集乳は続けている。 酪農組合(インサイダー)の農家は
集送乳が難しいということで 授精、集乳を3月いっぱい休止するそうだ。

 
米や食料を持って8軒全戸見舞いが出来た。
そのうちの1軒の農家の奥さんは「餌が来なくて少し乳量が減ってしまってねぇ」といいながら、 白菜を持ってこの子ら(牛たち)も草だけだから、わしらも葉っぱ食べて我慢するだ。と言って笑った。
米と食材の段ボール箱を差し出すと「お米かね、イヤー助かる、岩泉の町には全くないし、盛岡まで行くガソリンはないし困っていたと」さらに満面の笑顔で喜んでいただけた。
サバイバルに強い、たぶん日本で一番強い酪農ではないか、と思う。

宮古はひどかった、テレビ報道は見ていたが、現実を見るとその比ではない。 手付けずの瓦礫の山、家屋、墓の石塔までが流される津波あとは、形あるものは全て破壊されていた。
 

 

河口から2kmほど上流の川岸

 

宮古市街入り口付近

 
このガレキの中にはまだまだ無数の人がいる、と思うと何とか助けることは出来ないだろうかと思う。
 
 
2011年3月17日 茂木 修一