Roots MMJ創業時からの歩み

 
10月17日に酪農学園大学で行われた北海道農業経済学会に報告者として参加した。
会議ではプレゼンターによる報告とコメンテーターによる意見交換、質疑が行われた。


→報告者および演題はこちら(PDFが開きます)
→座長 荒木教授の報告書はこちら(PDFが開きます)
→MMJ代表 茂木の報告書はこちら(PDFが開きます)
 

 

参加は70名を越える人数になり、学生はもとより近隣の酪農家、北海道大学、帯広畜産大学、北海道商科大学、札幌大谷大学、東京大学と多方面より参席していただいた。
大変闊達な意見交換がされ、TPPを控えたこの時期、関係学会や業界関係者の自主販売に対する関心の高さに驚いた。
北海道酪農独特の経営状況、加工比率の増加の問題、ホクレンと不足払い制度の歴史的経緯など多岐に渡って話し合われた。
 
 
十勝農業試験場の三宅氏の講演は多発する大規模経営のアウトサイダー転向がなぜ起こっているのか、をテーマにしたもので、 その中で『どの地区、どんな経営体でも規模のメリットは得難い』という分析があり興味深く拝聴した。
大規模化は必ずしも経営改善につながるわけではなく、むしろ経営主が牛舎にいる時間の多寡が経営を左右する要因であるという分析であった。
経営主が牛舎仕事に携わる時間が減少した経営は生産効率が下がり、 飼料高騰等、不安定な酪農情勢下ではそのような大規模経営が高乳価を獲得するためアウトサイダーを志向する必然性が指摘されていた。

ただ、経営主が外に向かって生産物を有利に販売するための活動や、良いものを安価に仕入れるための活動をすることは、今後ますます重要になると思う。
大規模化も、アウトサイダー化もそれだけで経営改善となる特効薬では勿論ない。
しかし経営主が牛舎内の仕事に注力していれば良い時代は終わりつつある。
大切なことは、経営主が外に出て情報収集や営業活動等に取り組める環境を作ることであり、牛舎の仕事を任せられる人材を育てることであると思う。
 
 
輸出の話題もたいへん盛り上がった。
北海道の産地指定牛乳の輸出計画についてお話しさせていただいた。
刺激的な話題に活発な意見が交換された。
 
 
わたしは肉牛の業界から畜産を始めた。
牛肉は農産物ではいち早く自由化された品目である。
当時JAや農水省は自由化後、和牛しか生き残れない、とアナウンスしていた。
平成元年の頃の話である。
わたしの周りでは和牛を必死に買い、JAの指導に従った肉牛事業者もいたが、今はほとんど姿を見ない。

まだ、TPP交渉の詳しい内容は明らかにされていないが酪農業界にとって危機が迫っていることは間違いない。
個々の農家の経営判断が問われる時が迫っている。
 
 
浜中の石橋組合長の話は迫力があった。
ハーゲンダッツに契約出荷していることは業界で有名な事実である。
組合長の農家、酪農のために何ができるかと熱く語る姿は年齢を超えて共感するものがあったと思う。

農家からいかに吸い上げ、組織を太らせるかではなく「農家が何を必要とし、組合は何ができるか」を考える事は、農業協同組合の原点である。
この点に立ち帰ることが唯一JAの生きる道と思うがそうも行かないのだろうか。
 
会場には、ホクレン(JA)の共販課長が出席されていた。
田口畜産の田口社長が気付いて声をかけたが何の質問もせずに帰ったという。
私服であったというから目的は知れている。
昔、群馬から岐阜まで真夜中走るローリーを尾行した群馬乳販連の課長を思い出した。(→ローリー尾行事件記事はこちら
組合組織というものはどこまでも弱者を利用し責任を逃げるものだろうか。
今回、当初の学会プログラムではホクレン代表も参席していただく予定であった。
実現できたらもっと活発な意見交換になっただろう。しかし、拒否された。
その後、共販課長を私服で送り込むというのはあまりにも姑息ではないか?
内地には見られない立派な酪農経営者が北海道にはたくさんいらっしゃる。
そうした酪農経営者を束ねて行こうとするならそれ相応の対応があろう。
 
十勝の組合職員はしっかりと質問書を出された。よく考えた質問であったと思う。
時間が許せばもっと掘り下げた話もしたかったが、できなかった。
多くの宿題が出された学会であったので次回が楽しみだ。
 
 
2015年10月17日 MMJ代表 茂木修一