Roots MMJ創業時からの歩み

悲痛な叫び、は農家の意見だろうか?

生乳指定団体廃止の提言が内閣府規制改革会議WT(ワーキングチーム)から政府内に出されたことで団体は大変な騒動となっている。
北海道の組合長レベルの会議ではこぞって「なかった事にして欲しい」と悲痛な命乞いのようにさえ感じられる声明を発している。
ところが、北海道はもとより、内地の酪農家の中では今回の提言について肯定する意見が多く 「米は直接支払いで自由化している、電力も自由化された。酪農だって当たり前のことだ、これからは売り方を選べるようになる」と喜びの声を聞いている。

○○会議で決議された。○○大臣に陳情書を届けた。と団体役員は盛んに政治に訴えているが、「なかった事にして欲しい」は本当に農家の声を代表した訴えだろうか?と疑ってしまう。

今回の指定団体廃止(加工原料乳補給金制度の独占的指定を外す)提言に反対の意見書を各団体が即座に提出し新聞紙上を賑わせている。
提言が発表されたのは3月31日だからまだひと月も経っていない。
その意見書は酪農家の意見が反映されているようには到底思えない「速さ」であり、「内容」だ。

弊社、MMJのような自主販売(アウトサイダー)の組織にとっていい事なのか、あまり良くない事なのか?は意見が分かれるが、 指定生産者団体の加入している酪農家とMMJのような自主販売に加入している酪農家の隔たりが解消される方向になることはよいことだ。
北海道も、内地の農家も出荷先を選べるようになり、それが出荷組合であったり、MMJであったり、または今までの団体であったりするわけで、中には直接乳業と契約する勇気ある農家も現れると思う。
こうした自由な選択の中で、価格や安定性、乳質、牛の種類、地理的条件などで新たな流通ネットワークが構築されていく事になるだろう。

熊本の震災を理由にする?

連日盛んに報道される震災報道は痛ましい。 しかし、業界紙や新聞紙上で震災にも指定団体があるから対応できた、生乳の廃棄を最小限にできたように報じているが、指定団体の是非と災害を結びつけるのはおかしい。
5年前の東日本大震災で、東北の指定団体、岩手県酪は3月11日の震災時、3月末まで集乳と授精はできないと農家に宣言した。
大手2乳業の工場が止まったことと、電気、燃料の確保ができないという理由だった。
インフラでは同じ条件だが、岩手県の岩泉にあるMMJに生乳を出荷する契約農家では半日遅れの集乳で、ほとんど生乳を無駄にすることなく集乳できている。
集乳を依頼している運送会社の機転と勇気でローリーをまわし続けることができた。
団体であっても、個別の単協で努力すれば約20日もの間、生乳を捨てることにはならなかったはずである (下記資料は、震災時組合から出されたFAXである。廃棄乳は全体で按分し農家負担となった。JA手数料はしっかり取っている)。
有事の際に指定団体という巨大組織よりも個別の努力が機能した例だ。
勿論、全体で成すべきことはある。広域消防や広域救助体制がそれで、全体の協力体制は災害が大きい場合には必要だ。
これは生乳指定団体制度というものがなくなった後でも、災害時の協力ネットワークは構築する必要がある。

種子島、を例にするが

遠隔離島や北海道の道北を例に「誰が集乳するか」と、まるで郵政民営化の時のような論戦を載せるが、前述の岩泉の酪農グループは盛岡から山道を2時間かけてやっと到着する山間地で酪農を営んでいる。
MMJ創業2年目(2003年)よりお付き合いいただき、当初4軒だった農家は今、10軒になった。
一方、指定団体の農家は当時90軒あったが33軒になってしまった。→岩泉町酪農統計
こうした産地こそ、団体の合乳ではなく安定した品質と「小ロットのブランド化」がしやすい環境がある。
指定団体の指定の廃止と遠隔離島や山間僻地の荒廃をイコールで結ぶのは現実を見ていない、当事者と議論を尽くしてもいない、と思える。まことに失礼な話だ。

指定制度の廃止、その次は…

酪農改革はこれで終わりではない。
5年後TPPを前にして改革するべきことはたくさんある。
目線は輸出体制をどう作るかであろう。
日本の農畜産物輸出量は先進国のどの国よりも低い。ほとんど無い、と言っても過言ではない。
輸入に見合った輸出体制を構築しなければ本当の危機が来る。
 
 
平成28年4月29日  ㈱MMJ代表取締役 茂木修一