概略年表
平成4年 | 9月1日 JA中之条・吾妻町・群馬東村・名久田・群馬高山村・ 長野原・六合・北軽井沢の8農協とJA吾妻酪連との 合併により、JAあがつまが新設される |
平成5年 | 冬 生乳の生産調整が行われる |
平成6年 | 8月7日 八ケ岳酪農組合から川野氏に、アウトサイダーとして 生乳出荷しないか、という話が来る 8月12日 川野氏が選出した11人の酪農家で最初の会議を開く その結果、川野氏含む6人がアウトサイダーに なることを決意 8月13日 農協が八ケ岳酪農組合に対し圧力をかけてくるが反発 6人は八ケ岳酪農組合と個別に話し合い、個別に契約 (契約時の条件…乳量:10t/日、乳価:冬90円、夏100円/kg) 8月14日 アウトサイダーとして八ケ岳酪農組合に初出荷 契約から3ヶ月後 八ケ岳酪農組合、アウトサイダーの乳価を 引き下げ始める |
平成8年 | 山田氏が加わり、アウトサイダーは7人に 川野氏、豊田乳業にも出荷開始(150~200kg/日) |
平成9年 | 契約時の八ケ岳酪農組合の役員が辞職 |
平成11年 | 農協に国の制度資金借り入れを申し込むがアウトサイダーである ことを理由に断られる ↓ 農協参事に経済連への直接加入を勧められ、乳業との契約を打ち切る ↓ インサイダーに戻るための契約会議の席上、経済連加入の話を反故に され、酪農家各自で販売先を模索し始める ↓ 7軒の話し合いでプール乳価を求められるが川野氏が拒否し決裂 ↓ 川野氏:豊田乳業に150~200kg/日、 他大半は八ケ岳酪農組合に65円/kgで出荷(余乳扱い) ↓ その他の4軒:1円/kgで出荷枠を買いインサイダーに戻る |
平成12年 | 川野氏:豊田乳業と全量出荷契約を結び現在に至る |
平成13年 | 徳沢氏:東信ミルクプラントと契約し現在に至る |