• 酪農と乳業をむすぶ生乳売買プラットホーム

アウトサイダーへ
~決断、新たな出発~

蒜酪以外のジャージー農家は経営破綻に追い込まれる。
「このままでは食べていけない、年を越せない」となった農家の選択は…
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このような一連の蒜酪・県酪連のやり方に対して異を唱える6軒の酪農家が蒜酪内、蒜酪外から集まり、アウトに出る準備を進めた。
販売先については、蒜酪から孤立した美甘氏と、県酪の販売担当だった土居氏が営業に東奔西走し、 県酪連からの度々の圧力(原乳供給を武器にしての乳業への脅し)にも屈せず、春日牧場(岡崎乳業と合併し現在春日乳業)、 六甲牧場等との契約が成立した。
これを受けて平成4年11月、美甘氏が組合長となって、農事組合法人蒜山高原牛乳生産組合を設立し、 アウトサイダーとしての生乳出荷に踏み切った。
当初は、無事にローリーを送り出すまではおちおち眠れず、緊張の日々だったという。
すでに廃棄処分となった6トンローリーを秘密裏に入手し、よく洗浄し使えるように仕上げた。
 
季節外れの大雨の晩、アウト初出荷を決行する。
夜中に集乳を開始、夜明け前に大阪の黒川乳業に向け走った。
昼前に黒川乳業に到着し受乳を依頼したが、すでにホクラクから連絡が回って受乳を拒否されてしまった。
大雨の降りしきる中、生乳を積んだ6トン車は神戸に向かった。
今回のアウトを計画し実行した美甘組合長は黒川乳業の受乳拒否も考えの中にはいっていたのだろう。
もしものために神戸の六甲牧場に手を打っておいたのだ。
六甲牧場に着いて、受乳係りに「事の経過」を説明すると上司に聞いてくるという、「もうあとが無い」と思った美甘組合長は、 受乳係りが帰ってくるまでの間に受乳ホースをつなぎ、コックを開いてしまった。 白い牛乳がドッと流れ受乳室に入った。
ともかく第1便は乳業に収めることができた。 そして第2便、第3便と続く。
これに対し蒜酪は、アウトサイダーとなった組合員農家へのジャージー乳再生産奨励金の支給停止、公共育成牧場の利用拒否、 蒜酪の事業の一つである受精卵移植利用の拒否、乳牛の登録料を通常の2倍に設定する、前渡金の貸し出しの拒否等を内容とする通知を出した。