• 酪農と乳業をむすぶ生乳売買プラットホーム

北海道 震災と停電被害から1ヶ月が過ぎた。

酪農、乳業の停電被害は人災によるものが大きい、根源はどこにあるのか

株)MMJ 代表取締役 社長 茂木修一

 

まずは北海道、胆振東部地震で被災された方々にお悔やみとお見舞い申し上げます。

 

北海道の生乳生産量は全国の半分以上となり、今では牛乳、乳製品需給を考える上で不可欠な存在である。

その事が統計上のグラフや業界紙ではなく、現実の牛乳パックの欠品、スーパーの棚に牛乳だけが無くなるという現実を見せられた震災後のひと月だった。

 

震災の9月6日朝、私は商用でオーストラリアにいたが、被災を聞きつけ急遽帰国し北海道に直行した。

翌7日に北海道の釧路便(札幌は満席、帯広は欠航)に乗ることができ、早速契約農家の状況確認に行くことができた。

釧路空港はいつもと変わらない様子であったが、一歩空港施設を出ると街灯は消えている。霧雨が降り、道路の信号機も消えて全く明かりのない世界になっていた。

契約農家に着いてみると暗い牛舎の中で発電機の音が大きく響き、ヘッドライトの明かりだけが目立ってはいたが、ご主人と奥さんが搾乳をしていた。

私たちに気が付いたご主人が歩いてきた。ヘッドランプ姿に照れたように白い歯を見せ挨拶してくれた。発電機は有るが、動力の200vは連結できても電灯の100vの分まで用意出来なかったと言う。

「北電からの通電のめどはまだない状況ですが怪我など事故に遭わない様、落ち着いて対応しましょう」声をかけると、「頑張るしかないね」と、意外に元気な返事が返って来た。

 

MMJの対応。

この釧路地区は6日の震災を受け、停電になった時点で早朝から集乳を開始した。いつ停電が解除されるか分からない中、今、バルクに冷えている生乳を無駄にしてはいけないという判断からだ。

契約農家に発電機があるとは限らない。あったとしても搾乳施設と連結がうまくいかないとどちらかが破損する。最悪、搾乳機施設のコントロール基盤を壊す。

そうなっては北電が通電しても搾乳できない。

私はオーストラリアから帰国する途中ホームページやファックス、SNSで農家に連絡していた「発電機をつなぐ際の注意」は承知していただいた様だった。

まだ記憶に新しい東日本大震災の長期停電の教訓が役に立った。

 

MMJ契約農家以外のホクレン出荷農家から「集乳してくれないか」という依頼が来ているという。

どうもホクレンは道内の乳業が停電で動かなくなっているので、生乳の行き場が無く、集乳をストップしているらしい。

依頼されたホクレン契約の農家に行ってみると、同じように暗い牛舎の中でヘッドランプの灯りをたよりに搾乳をしていた。

中から出てきたご主人に「大丈夫ですか」と声をかける。

発電機を連結して停電後初めての搾乳を始めるという。

すでに夜8時過ぎ。

長時間、搾乳の遅れが生じると急性の乳房炎になる。搾乳予定時刻を12時間以上遅れている。とにかく早く張り切った乳房を絞ってあげたいのだろう。

乳質も気になる、アルコール検査が陽性になることが心配された。釧路地域をお願いしている福田さんに、こんな時だけど検査だけはきちっとするよう伝えた。乳業に迷惑はかけられない。

電気業者らしい方が発電機の連結作業をしていると、また一人トラックで近所の方が手伝いに来てくれた。挨拶も早々に農協の話しが出た「夕方、農協の職員が庭でバーベキューをしていた」という。メンバーの中にはヘルパーも居たと。

ホクレンは停電発生の朝、職員に自宅待機を指示していた。

酪農家が発電機を探し回り、限られた発電機で取り敢えず持ち回りでも搾乳しようと、朝から晩まで奔走している時に倉庫でバーベキューをしていたという。

電気がないので暗くなり、庭に出てきたらしい。

酪農で成り立っている農協なのに、その意識が無い。

農家を何軒廻っても手伝っている農協職員と会うことがなかった。

内地(本州以西)の農協でもこんな対応はしないだろう。北海道は農協組織が確立されすぎて農家との間に一体感はないのかもしれない。

 

福田さんが昼の集乳者から替わり、搾乳ができた農家を順番に集乳する事になった。その予定にはホクレン契約農家も多数入っていた。

そのひとつに行って車を着けた。ちょうど搾乳が始まるところだった。

乳房は張り切って、牛達は泣いて落ち着かない。夜2時過ぎ、電気が通電した牛舎の中で母と息子は「よく頑張った」と抱き合っていた。目には涙が見えた。

生まれた時から牛と暮らし、一日も休んだことのない搾乳という仕事が突然止まった。という事態が引き起こすストレスは、酪農家以外の者には理解出来ないと思う。放置したら牛は倒れ死ぬのである。

 

ようやく搾乳ができ、バルクに生乳が溜まってもホクレンは集乳に来なかった。

31ある工場で自家発電を備えているのは2工場だけだった。呆れて言葉も出ない。

北海道で処理できない生乳はフェリーで本州に運ぶしかないが北海道の1日の生乳生産量は10,000トンを超える。とても運べる量ではない。工場再稼働を待つしかない。

多くの北海道の酪農家は電力が回復する8日朝まで絞った生乳を捨てる事になった。福田さんはオーストラリアの出張から帰り、そのままほとんど寝ずに夜の集乳を引き継ぐ事になった。

MMJ契約農家の集乳の他、釧路地区のホクレン契約農家からも依頼があり7軒集乳した。

数量にすると60t以上になる。

集乳車に乗りながら「いくらで精算しましょう?」と聞かれた。ホクレン価格か、MMJ価格か。それともホクレンが来ない限り捨てるしかないのであれば半値でもいいか?という選択もある。

私は「MMJの今の契約農家と同じ価格にしましょう」と即決した。

事態が収拾したらなるべく早く即金で清算することにした。被害の甚大さを思うとできる事は限られるが、少しでも支えになれたらと思う。

もちろん全ての北海道の生乳を本州に送れるわけではない、ごく一部に過ぎない。それでも限られた報道、通信手段をもって生乳を無駄にせず、販売して製品にする事は酪農業の原点である。

「電気」という酪農には不可欠なインフラが突然ストップした事故は様々な爪痕を残しながらも北海道酪農の多くの欠陥や、手に負えない短所がある事を示唆した。

酪農と乳業の連携が無かった。

本来、業態としては一体のはずのものが、それぞれをまとめるべきホクレンが単なる商業上の位置でしかなかった事で、危機管理意識に至らなかった。

北海道酪農という国の一大産業を担っていながら、農家が生産した生乳を乳業に分配しているだけで、生乳を無事乳業に届け製品にされて始めて受託販売が完結する事に気付いていなかったのだろう。

日本の半分以上の牛乳、乳製品を生産する北海道、ホクレンに課せられた責任は大きい。

「分配と精算」だけで仕事が完結していると思っていたのが間違いである。

通電が再開され徐々に被害の全容が明らかになると直ぐに国からの災害補助金を無心している。

まだ記憶に新しい東北の東日本大震災でさえ農家からそのような話は無かった。

産業の危機管理を誰がするのか?

牛乳、乳製品を作り、消費者に届けるという責任を誰が果たすのか。

産業の中心に居る組織であり、人物であろう。国ではない。

 

7年前、東北の東日本大震災でも同じ事が起こった

2011年3月11日、JA岩手は停電と電話回線の不通、乳業の被災を理由に4月までの20日間以上、集乳と授精師業務を停止する事を農家に通知し、実際業務を停止した。

MMJは集乳業務を預かる運送業者が頑張り、当日、半日遅れたが集乳を敢行し、ほとんど生乳を無駄にする事はなかった(岩手、岩泉)。

JAはのちに集乳されなかった生乳の代金の7割を被災前後の出荷数量から按分し、一時払い金として用立て(組合で資金調達、その後乳代より分割返済)農家に支給している。

 

原因の根は委託販売にある

北海道の場合、乳業は受け入れタンクに生乳が届いてもその時点では支払いの義務は発生しない。

工場内に入れ、製品になって初めて清算が始まる。使われず余った生乳は他の乳業に転送される。またはホクレン丸で本州に運ばれる。その数量コントロールは全てホクレンが統括する。

「使った分だけ払えばいい」のである。届いた分について「処理する義務」はないのだ。

ホクレンは委託販売契約を農家と締結している。委託の時点で農家は用途や価格を決める事をしていない。廃棄もそのひとつにと言われればそれまでである。

他の酪農先進国に例を見ないようなこの委託販売を続ける限り、今回のような人災とも言える事故は起こり続ける。

 

MMJ

庭先買い取りである。責任ははっきりしている。

契約農家は出荷の努力をしていただいた。搾乳でき、冷やす事が出来た生乳は全て集乳した。

発電機は用意できたが、搾乳設備と連結できなかった農家が2軒ほどあった。

この2軒の集乳は諦めざるを得なかった。

残念ながら発電装置と搾乳施設の連結試験をしていなかった。搾乳施設は新しいもの程複雑な電気配線設備になっている。コントロールはするのはコンピュータ基盤だ。連結は簡単ではない。

有事の時、的確な判断のもと被害を最小限にし、消費者に製品を届ける責任を果たすには、それぞれの役割が明確でなければ対応できない。

災害や事件が起きた時には、

災害、事件 → 対応 → 結果の検証 → 原因究明 → 対策の実行

が必要である。

責任の所在を曖昧にしてできることではない。