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結果ありきの調査団報告

10月10日から13日、在京の酪農団体、大手乳業、研究者から成る「英国酪農乳業緊急実態調査団」がJミルクの企画でイギリスに渡った。
調査の中間報告が酪農スピードニュースに書かれたが、例によって酪農の改革に反対する意見しか書かれていない、 もっと大局的に当時の英国を見てくれたら違う目線の建設的な報告もあったろうに、と思ってしまう。

酪農、乳業の改革を考える時に、どこに焦点を当てて改革を実行していくのか?組織維持のために改革するのでは本末転倒である。
MMJは酪農、乳業界の健全な発展のために存在する。
業界が本当に危機的な状況になれば生産調整も契約農家に呼びかけ協力してもらう。
どんな山間僻地であろうが、遠隔離島であろうが集乳する。
その時の業界が、その地の酪農家達が真に弊社MMJを求めるならそこに道を作るのが使命と考えている(注1)。

(注1) 今まで指定団体が行ってきたような生産者に生乳廃棄を一方的に押し付けそれを個人負担とするような生産調整ではない。
海外輸出も含め、あらゆる手段を講じ、なおかつ個人負担にはしない方法での生産調整を検討する。
山間地域、遠隔離島の集乳という点では現在も岩手で創業時より行なっている。(岩泉町の酪農紹介)
地域ごとまとまった酪農集団があれば地域に最も適した酪農経営、販売方法を見出していける。

MMB解体と同時期に起こった未曽有の危機

英国といえば忘れもしないBSE(狂牛病)だ。
私は日本でBSEが発生した2001年10月渡英している。
当時、被害を最も受けたのは肉牛農家よりも酪農業だった。
発症した牛はほとんどが酪農の経産牛だった。
1980年頃、英国では牛の奇病が噂され徐々に罹患率は無視できないものになった。
各研究機関が原因と感染経路を究明しようとしている中、ある仮説が立てられた。
羊のスクレイピー という病気(神経症状を呈して発病後、期間の長短はあるがほとんど死に至る)に似ていると言うのである。
当時、英国では死亡した羊や牛、豚などを肉骨粉にして乳牛に与えていた。
高濃度のタンパクとエネルギーを安価に給与できると、搾乳牛には良く使われた。1984年頃の事である。
当初、羊のスクレイピーに似ているがその原因となる菌、ウイルス、又は遺伝障害・・・どれも特定には至らなかったが、 1986年、プリオンというウイルスよりもさらに小さいタンパク質が原因である事が発見された。
生命体とも言えないような物質プリオンは、摂氏130度を超えなければ不活化しない事がわかった。
当時のへい獣処理場は開放型の加熱だったので100度を越えなかった。
餌から摂取され畜種の壁を超えたプリオンは牛に感染し、はじまりは一頭だったのが発病後へい獣処理場で肉骨粉となり、再度飼料を介して水平感染していったとされている。
当時、英国畜産界ではどうも肉骨粉が原因らしいという疑念はあったが、国の対応は遅れた。
肉骨粉は英国内では値下がりし、売れなくなった物は販路を求めて一部はヨーロッパ各国に輸出された。日本にも輸出され、アメリカにも渡った。

更に1995年、BSEは人にも感染していると言われ始めた。
感染牛の肉を食べたのが原因とされる同様症状の人の症例がTV放映され、世界的な新感染症の問題となった。
顔の表情が歪み痩せ衰えた人の姿や、乳牛が酔っ払ったように千鳥足で乳房を壁に叩きつけながら歩くBBCの放送は生々しかった。
新しい人畜共通感染症、治療方法はなく、年齢にも関係なく致死率100%と言われ世界中の人を恐れさせた。
1996年3月には、英国の若者8人がBSE感染で亡くなった(当時は新種のヤコブ病と診断)。

日本で発生したのは2001年8月、疑似患畜が発見され、さらに9月、アメリカの同時多発テロの直後に2頭目が発見された。
これをもって日本はBSE汚染国となった。
当時、私はこの年の10月、この新しい家畜の感染症、人畜共通の感染症が肉牛業界にどれほどの影響を与えるのか、この目で確認したくて英国と欧州へ視察に行った。
英国、フランス、イタリア、スイスを10日間かけて一人で視察、調査した。
2001年6月時点で、英国では既に18万1255頭のBSE感染牛が確認され死亡、又は殺処分されていた。
私が渡欧した10月、人の感染は107人発症、内すでに101人が死亡していた。

当時の英国乳価の変動が示されている資料として、中酪情報2015年3月号掲載の「英国における生乳取引制度の変遷と生産者組織の役割」(農林水産政策研究所、木下順子氏)図2を参照したい。
(本文は中央酪農会議のサイト中酪情報のバックナンバーとしてダウンロードできます。→中酪情報)
94年、MMBは解体され、任意団体であるミルクマークという組織に引き継がれた。
翌95年の英国乳価は依然として強い組織力により高乳価を獲得している。
しかし、EUから安い牛乳・乳製品が流入し始めたことで、英国の生乳の加工比率は上昇、長年固定化した組織の高コスト体質が問題になっていた。
もともと、EU諸国はアメリカの穀物を飼料としては利用できないほどの高関税(約150%)をかけていた。
しかし英国畜産農家は殆ど無税で飼料穀物を利用できた。
この差は大きく、畜産物が安価に生産できたため、EU諸国に活発に輸出していた。
このような有利な状況だったにもかかわらず、93年にはEU平均乳価と英国の乳価は同水準になっている。
これでは輸出できない。
当時のサッチャー政権は一物多価の固定価格経済から市場開放を迫る。
搾乳牛の神経症状を呈する新しい病気が広まり、人への感染が明らかになり始めたのは、MMB解体の翌年のことである。
96年にはBSEの犠牲者が発生し、消費者は恐怖に震えた。牛肉や乳製品の輸出は止まり、価格は大幅に下落した。

農家は国の緊急的な補完処置で経営をなんとか維持したのである。
これは余りにも特異的な例と言わざるを得ない。
当時、草食獣である牛に肉骨粉を食べさせた事への消費者の批判は厳しいものだった。

学ぶべき計画経済酪農の出口

確かに日本の指定団体制度はMMBを模倣して作られたものであるが、しょせん模倣品の悲しいところで、経済の原則から見ても「穴」が目立つ。
今回の指定団体制度の改革と当時のイギリスを比較して制度維持が最善の選択とするのは拙速すぎる。
当時、英国はサッチャー政権下で電気、水道、ガス、交通など殆どの公益事業を民営化して市場経済に移行しようとしていた。
酪農、乳業もその一つとして改革を迫られたが、ちょうど同時にBSE(狂牛病)という同国としては未曾有の危機が発生してしまった。
業界としては悲劇と言うしか無い。
私が訪問した多くの農家は、特に酪農家は共販制度(MMB)の解体よりもBSEの衝撃と、経済損失に嘆いていた。
それでも生乳生産量は下図グラフのように2015年度時点では1985年の水準に回復している(データ:Eurostat)。ホルスタインの故郷、イギリスの畜産は健在である。
かつて世界の大陸の4分の1は大英帝国の支配下にあったとされる。
大きな舵取りは間違わない。

酪農業は一軒では成り立たない。日々の集乳、獣医や授精師の回診、搾乳器具のメンテに修理、何れも待ったなしの仕事である。
BSEのような未曾有の事件に遭遇したとはいえ、英国のような指定団体、計画経済の崩壊はあってはならない。
残るべき酪農家、地域と、消費者に真摯に向き合い努力している乳業が共存し、発展していけるような改革にしてほしい。

平成28年11月8日  ㈱MMJ代表取締役 茂木修一